小説「となりのひと」(改訂版)
序
となりにいる人は、どんな人だろう。
バスの揺れる座席で、電車の向かいの席で、あるいは雑踏の中で袖振り合う、見知らぬ誰か。ふとした瞬間に、そんなとりとめもない問いが頭をよぎる。 自分と同世代だろうか。どこに帰る家があり、どんな暮らしを紡いでいるのだろう。独り身の気ままな生活か、それとも誰かの帰りを待っているのだろうか。
窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、ひとり微笑む。 きっと周りからは「変な人」と映っているかもしれない。いや、薄気味悪い老人だと敬遠されているだろうか。まあ、どうでもいい。私も周りの人たちと同じように、ただここに存在し、流れる景色の一部になっているだけなのだ。それのどこがおかしいというのだろう。
一章 バス停にて
のどかな郊外の街から、大都会・東京へ。少し長距離の旅になるが、急ぐ旅路ではない。バスならば時間はかかれど、乗り換えのたびに階段を上り下りする必要もない。若い頃のように強靭ではない今の足腰には、タラップを数段上がるだけで済むバスの優しさが身に沁みる。 それに、東京都内区間に入れば、財布から小銭を探す手間もいらない。電車ほど本数はなくとも、私にとってはこれ以上ない便利な相棒だ。
バスを待つ時間も、また一興である。 乗り継ぎの旅では、様々な人が隣に着座する。平日の昼間ともなれば、若い子と隣り合わせることは少なく、もっぱら同世代や年配の方々が旅の道連れとなる。会話が生まれることは稀で、ただ互いにバスの振動に身を任せる沈黙の時間。 そこで、私の悪い癖が出る。退屈しのぎの心の中で、「お隣さん観察」が始まってしまうのだ。他意はない。単なる老人の興味と、尽きせぬ好奇心からである。
私は旅が好きだ。それも、お金のかからない小さな旅、「シルバーパスの旅」が。 東京都では、七十の坂を越えると、この魔法のパスが僅かな負担で手に入る。都内を走る民営バス、都営バス、都営地下鉄、そして都電荒川線。一部の例外を除き、都内の毛細血管のように張り巡らされた公共交通を、縦横無尽に行き交うことができる通行手形だ。
これに乗って当てもなく旅をするのが、何よりも好きだ。尽きない好奇心を満たす、まだ見ぬ景色。初めて降り立つ街の彩り、匂い。そして、隣り合わせた人との、言葉を交わさぬ一期一会。そんなささやかな可能性を秘めた旅が、たまらなく好きなのだ。
さて、定刻だ。遠くからエンジンの音が近づいてくる。バスに乗り込むとしよう。
二章 バス乗車
ここは、都バスが走る東京の西の端。名前も知らぬこの停留所から、今日の小さなバス旅が幕を開ける。 停留所の時刻表に目をやると、隣のバス停の欄は空白が目立つ。いわば「バスの来ないバス停」だ。朝夕の一部にしか数字が刻まれていない。さすがにそこから旅を始める勇気は、私にはない。一体どんな人が利用するのだろうと想像力が刺激されるが、今日のところは冒険はよしておこう。
プシューッという音と共に、バスが扉を開けた。乗客は私一人。贅沢な「貸し切り」状態だ。 エンジンが唸りを上げ、出発する。実のところ、行き先はよく分かっていない。車内アナウンスで聞けばいいだろうと、高を括って調べもせずに乗り込んだのだ。この銀色の箱は、私を一体どこへ連れて行こうというのか。
バスは東の方角へ向かっているようだ。車内アナウンスが流れ始めたが、運転手さんの声がマスク越しだからかボソボソとして、上手く聞き取れない……。 やがて次のバス停に到着した。乗客はいるかと窓の外を見ると、お婆さん二人組が待ち構えていた。
二人は乗り込むなり、大きな声でのお喋りに夢中だ。一向に座ろうとしない。これでは危なくて発車できないではないか。見かねた運転手さんが、マイク越しに少し声を張って着席を促す。二人がようやく腰を下ろすのを待って、バスは再び走り出した。 行き先不明の不安を乗せたまま、静寂に包まれていた車内は、一気に賑やかな社交場へと変貌した。
車内に響き渡る会話の内容を推測するに、この後どこかのファストフード店でコーヒーでも飲みながら時間を潰し、スーパーの開店を待つ……大まかにはそんな作戦会議のようだ。 聞こうと思わずとも、鼓膜を震わせる大声が飛び込んでくる。きっと耳が遠いのだろうと一人で勝手に納得しつつ、私は再び、聞き取りづらい行き先案内に耳を澄ます。
……しかし、肝心の案内はまだない。
朝のラッシュを過ぎた時間帯。私と賑やかな二人組だけを乗せ、バスは大通りの街道をひた走る。 待ち人の居ないバス停を、いくつもいくつも通過しながら進んでいく。この辺りの郊外では、車がなければ生活が成り立たないのだろう。乗客は免許を返納したお年寄りばかり。この中途半端な時間に、新たに乗り込んで来る人はいないようだ。
車内の自動音声が、八高線箱根ヶ崎駅のアナウンスを始めた。 駅ならば人がいるだろう。多くの人が乗車し、閑散とした車内に賑わいがもたらされ、私の「お隣さん観察」が本格的に始まる――そんな期待で胸が膨らむ。 バスは駅前のロータリーへと滑り込む……が、誰もいない。バス待ちの人影ひとつない。当然のようにバスは停止することなく通過し、私の期待は見事に裏切られた。
期待外れの駅前風景が、窓の外を流れていく。行き先の分からぬこのバスでは、私が思い描くような人間模様を見ることは不可能なのだろうか。 諦めかけたその時、バスが減速した。窓の外には、何やら多くの人だかりが見える。
ここは市の大きな施設の前のようだ。乗り込む客が列を成してバスの到着を待っているではないか。 プシューッと扉が開くと、ドカドカと人が乗り込んできた。一気に賑やかになる車内。私の隣の席はまだ空いているが、周りは大勢の客で埋まった。 さあ、出番だ。「聴き耳」を立て、「妄想準備」を整える。心が波打つのが分かる。我ながら、おかしな趣味を持ったものだ。
四方八方から、話し声が私の席まで飛んでくる。耳で捉える、客同士の生の会話。
「……あのね、バス停の近くに新しくできたスーパー、あそこすごいのよ。お野菜が安くてねえ」 「そういえば、街の向こうに新しく電車が通るって話、聞いた?」 「やだわ、近くで事件があったらしいじゃない。さっきお巡りさんが大勢いたわよ」
失礼かもしれないが、たわいもない世間話だ。まるで老人の会合か井戸端会議がそのまま移動してきたような、そんな気安さが車内に満ちていく。 その賑わいで、肝心の車内アナウンスがかき消されてしまう。一体全体、このバスはどこへ向かっているのやら。さっきまで大音量だと感じていたお婆さんたちの声も、今ではこの喧騒の中に埋もれて小声に聞こえてしまうほどだ。
バスが大きく揺れて停車した。大勢の客が一斉に立ち上がり、下りる準備を始める。どうやらここは乗換駅で、電車との接続があるらしい。
吐き出される客と、吸い込まれる客。半々とまではいかないが、買い物袋をはち切れんばかりに満たした客たちが、入れ替わりに乗り込んできた。袋からはネギの青い頭や、特売のシールが貼られたパックが見え隠れする。この乗換駅は、どうやら賑やかな商店街がある街らしい。 「あれが安かった」「これも安かった」という、戦果を報告しあう声に変わる。
バスの車内は、今までとは違った、生活の匂い――揚げ物の油や、土のついた野菜の匂い――を載せて発車した。 少し静かになった車内に、ようやくクリアな機械音声の行先案内が響いた。 「このバスは、西武新宿線、花小金井駅行きでございます」 なるほど。青梅の辺りから、青梅街道をひたすら真っ直ぐ東へ進んできていたというわけか。
私はシートに深く体を沈め、安堵のため息をついた。行き先が分かれば、慌てることも心配することもない。見知らぬ土地へ連れ去られる心配はなくなった。 心配するほどのことでもなかったが、やはり行き先がわからないというのは、どこか落ち着かないものだ。 不安が消えた耳には、先ほどにも増して色々な音が飛び込んでくる。勝手な景色が、脳裏に浮かび上がっては消える。
駅前の大きな雑居ビルの地下にある、活気あるスーパーマーケット。 そのビルへ飛び込み、大急ぎで地下へと潜る人々。エスカレーターを駆け下りた先にあった特売のチラシをひったくるように手に取り、目当ての格安商品を探して売り場へと急ぐ。そこは大勢のお客でごった返し、熱気すら感じる。望む商品が手に入らず、慌てて他の売り場へと移動する主婦の姿……。 そんな賑やかな町のショッピングセンターが、今ここにいる「となりのひと」たちの、生活とコミュニケーションの場となっているのだろう。
そんな光景を妄想のスクリーンに映し出しながら、バスの旅は続く。
買い物袋を手にした乗客でほぼ満員となったバスは、今までとは少し違った景色の街を走っていく。 今までののどかな田園風景から一変、昔ながらの家並みが続く街道沿いへと入ったようだ。かつては民家や商店が軒を連ねる、旧街道のような趣があったのだろう。今では所々に新しい大きなマンションやビルが建ち、その面影を少しずつ壊しつつある街並みだ。
車内は、先ほどの喧騒が嘘のように静かになってきた。古い町並みも、今では住民が入れ替わり、新しく転居してきた人が多くなっているのだろうか。そんなことを考えていると、バスが停車した。 何駅だろうと窓の外を見ようとした瞬間、私の隣に、ドスンと重みがかかった。
若い女性だ。強烈な甘い香りをプンプンと漂わせ、いきなりドカンと座ってきたのだ。躊躇する様子も、遠慮する素振りもない。いや、する必要などないのだが、あまりに唐突だったので、私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまったに違いない。 こんな爺さんの隣など嫌がって、わざわざ座ることはないだろうと、そう勝手に決めつけていた自分がいたから、余計に驚いたのだ。
「となりのひと」は、耳にイヤホンをして音楽を聴いているようだ。どんな音楽なのかは漏れ聞こえてこないが、かすかに体がリズムを刻んでいる。バスの揺れとは違う、小刻みな揺れ方だ。 さらに驚くことには、彼女は揺れながら器用に化粧を始めたではないか。小さなポーチからコンパクトを取り出し、パフで顔をはたき始める。寝坊したのか、それともこれが彼女の日課なのか。それにしても、香水の匂いがキツイ。鼻の奥がツンとする。
会話はもちろん無いが、香りを伝えてくる「となりのひと」の妄想が、私の頭の中で勝手に始まる。 ……これは、やはり変態の領域だろうか。いや、まあ良い。誰に害を与えるわけでもない。そう自分に都合の良い判断を下して、私は妄想を続けることにした。
バスが停まった。大きなバス停のようだ。乗客たちがぞろぞろと下りていく。 隣の二十代くらいの、化粧途中の女性も、慌てて道具をバッグに放り込み、席を立った。 ここはJR武蔵野線の新小平駅らしい。車内アナウンスは聞こえなかったが、窓外の景色と人の流れからそう推測する。この駅で乗り換えて、JR中央線の国分寺へ出るのだろう。そんな様子で、半分くらいの乗客がバスから吐き出されていった。代わりに乗り込む客はいない。バスは軽くなって発車した。
車内はまだざわついている。渋滞中の街道を進んでいるらしく、発進と停止を繰り返すたびに体が揺さぶられる。運転手さんが「手すりにおつかまり下さい」と、何度も何度もアナウンスしている。 危険が伴う道路状況だからか、それとも騒ぎが収まらない車内を諌めるためか。バスが停車した。ここで下りる客が、ドアの前でざわついていたのだと今わかった。
西武多摩湖線の青梅街道駅である。この沿線には学校や企業、様々な施設が点在しているから、乗り降りが激しい。乗客の回転が早すぎて、私の趣味である観察はなかなか捗らない。仕方のないことだが、一人取り残されたようで、少し寂しい気持ちになる。
バスが発車した。ほとんどの客が下りてしまい、車内には私を含めて僅かな乗客しか残っていない。新しく乗ってくる客もいない。どうやら、終着駅が近づいているようだ。
最後の「聞き耳」をと、私は頑張って耳をそばだてる。 前方に座っていたお年寄りの夫婦が、信号待ちの隙に運転席へ近づき、運転手と話を始めた。進行中のバスで大丈夫なのかとヒヤヒヤしながらも、私はその会話を聞き漏らすまいと集中する。
私と同年代らしきその夫婦は、バスはどこまで行くのか、新宿方面へ行きたいのだが、終点から接続のバスはあるのかとか、まさに私が最初に知りたかったような質問を、矢継ぎ早に投げかけている。 バス停でもないのに、バスが完全に停車した。どうやらこのご夫婦のために、運転手さんが安全を確保して、丁寧に調べてくれているようだ。感心な運転手さんだ。ダイヤに追われる中、なかなか出来ることではない。
しばらく停車した後、納得したのか老夫婦が席に戻ってきた。望む答えを得たようで、二人は下りた後の行動について相談を始めた。 「やっぱりバスじゃなくて、最初からJRで行けば良かったかねえ」 「でもお父さん、電車だと階段が多いし、人も多いから疲れるじゃないの」 「それもそうだが、都心へ行く電車は、何時の時間帯でも混み合っているからなあ」
そう、ラッシュ時間を過ぎても、東京の電車は混雑している。 その原因の一つは学生さんたちだ。最近は高校生たちが九時を過ぎても大勢乗ってくる。学校の授業開始時間はどうなっているのか、そんなことが気になってしまうのは、私が古い人間だからだろうか。 問いかけても、答えをくれる相手はいない。そう言えば、私の家の近くにも高校があって、通学時間がばらばらなのを思い出した。通常の時間に行く生徒もいれば、十一時前になってようやく登校する生徒も見かける。多様な学びのスタイルがあるのだろう。
こんな調子だから、ラッシュのピークが過ぎて十時近くになっても、車内が混雑しているのだ。この老夫婦も、そんな混雑を避けて、シルバーパスを利用したのんびりバス旅を選んだ口かもしれない。親近感が湧いてくる。
やがてバスは、終点の西武新宿線花小金井駅に到着した。長い旅の終わりだ。私は席を立ち、バスを下りることにした。
先ほどの老夫婦はと言うと、運転手さんに教えてもらったのだろう、バス停の案内板を一つ一つ確認しながら、目的地へと向かう次のバス乗り場と時刻表を探しているようだ。
私も、彼らと同じ方向を目指すことにした。声は掛けないが、同志のような気分で、同じようにバスの停留所を確認しながら歩を進める。
新宿方面へ向かうバス停は、駅の北口と南口の二箇所にあるようだ。 しかし、よく考えてみれば、新宿方面へ出るならば、ここから吉祥寺に出て、そこから中央線に乗るなり、別のバスに乗り継ぐなりした方が良いのではないか。
よし、吉祥寺行きの西武バスに乗ることにしよう。 次のバスまでまだ時間がある。少し駅前を散策してみるのも悪くない。
私は駅ナカの、線路を跨ぐように作られた長い連絡通路を通り、南口へと向かった。 南口にもバス停が二、三あるものの、時刻表を見ると発着本数の少なさが目立つ。ここを発着点とするバスは少なく、多くは大通りから出るようだ。南口よりも北口の方が商業施設が多く、住民の生活の拠点となっているのが見て取れる。
南口の先には、有名なゴルフ場や広大な都立公園などがあるはずだ。休日には行楽客で大賑わいなのだろうが、平日のこの時間に、わざわざ下りてくる人は少ないのだろう。私は来た道を引き返し、先ほどの北口のバス停へと戻ることにした。
「西武バス 吉64 吉祥寺駅行き」。そのバス停で、次の旅の始まりを待つ。 既に四、五人の先客が列を作っていた。その中には、あの老夫婦の姿もあった。彼らもここが正解だと辿り着いたようだ。なぜだか分からないが、自分のことのように安堵の気持ちが広がる。
これから先のバス旅は、どんな出会いが待っているだろうか。私はそんなことをぼんやりと考えながら、バス停の行列の最後尾に並んだ。
(続く)
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