暦の上ではまだ五月だというのに、吹き抜ける風にはすでにまとわりつくような湿り気があり、肌をじっとりと撫でていく。庭に面した掃き出し窓を細く開けても、部屋に忍び込んでくるのは夏を急ぐような生温かい空気ばかりだ。
部屋の片隅では、相も変わらずのえちゃんが丸くなって眠っている。私たちでさえ堪えるこの暑さは、分厚い毛皮を纏った老犬にはさぞ身に堪えるだろう。静かに上下する小さな背中を見つめながら、私はふと、私たち家族が重ねてきた時間の重さを思った。
このところ、のえちゃんの食がめっきり細くなった。体重が落ちていくのを恐れ、婆さんは何とか食べさせようと躍起になっている。夕餉の折、様々なものを細かく刻み、混ぜ合わせては口元へ運ぶ。その手には、不器用だが切実な祈りのような愛情が握りしめられているのだ。のえちゃんもそれに応えようと懸命に呑み込むのだが、やはり老いた胃の腑が受け付けないのだろう。吐き気と闘うように苦しげな仕草を見せるのえちゃんを前に、私たちはついにひとつの決断をした。
無理強いはやめよう。食べたい時に、食べられる分だけを、何度かに分けて。それが、今のこの子にとって一番の「正解」なのだと。
明日は歯医者へ行く日だ。一時間に二本しかないバスの時刻表を老眼鏡越しになぞりながら、帰りの南武線で座れるだろうかと、ちっぽけな不安を抱える。不便なこの家を出て、早く終の棲家を見つけたいとこぼしながらも、地震ひとつ揺れないこの頑丈な古い家を手放すのはどこか惜しくもある。
老いゆく犬と、年老いた妻と私。不便さも、愛しさも、迷いもすべて丸ごと抱え込んで、私たちの静かな夏が始まろうとしている。







