謎の依頼(または発見)
9月7日、月曜日。
連日テレビが煽り立てる災害級の雨雲は、幸いにもこの長閑な里山をすり抜けていったらしい。それでも見下ろす小川は黄土色の濁流と化し、普段の穏やかさをかなぐり捨てて唸りを上げている[cite: 1, 2]。朝の日課である散歩を断念し、ぼんやりと窓の外を眺めていた9時過ぎ、雨脚がすっと弱まった。
「ちょっとお父さん、買い出しついでに歩いてきたら? 牛乳とスプラウト、切れてるのよ」
妻から、唐突にして絶対的な指令(という名のお使いミッション)が下された。傘を片手に武蔵村山方面の里山沿いへ足を踏み出すと、昨夜の雨水をたっぷり吸い込んだグラウンドに、巨大な水たまりが出現していた。覗き込むと、どんよりとした曇天と山々の緑が、まるで鏡のように見事に反転して沈んでいる。
思わずiPhoneを構え、「雨上がりの静寂を切り取る孤高の表現者」を気取ってみたものの、現実は単なる「妻に牛乳とスプラウトを頼まれた70代の老人。
妄想と葛藤の暴走、そして相手の呆れ
ファインダー越しの一人旅に夢中になるあまり、気がつけば引き返す体力を大幅にオーバーした地点まで歩き通してしまっていた。蒸し暑さは容赦なく体力を奪い、喉はカラカラ。
見栄を張って歩いて帰るか、それとも文明の利器に屈服するか——。
葛藤の末、私はあっさりと停留所でバスを待つ列に並んだ。わずか数停留所、スーパーの前で下車し、涼しい顔で牛乳パックと繊細なスプラウトをカゴへ放り込む。
帰宅後、汗だくの私が「いやあ、あの水たまりの虚像と実像の対比が実に象徴的でね、つい魂が遠くまで旅をしてしまって……」と哲学的口実を並べ立てると、品物を受け取った妻はため息まじりに一蹴した。 「要するに、歩きすぎて疲れてバスに乗ったのね。はいはい、お疲れさま
冷静な自己ツッコミと意外な解決
妻の鋭い刃物にロマンを両断された私は、居間の隅に視線を逃がした。
そこには、外の蒸し暑さも私のくだらない冒険談もどこ吹く風で、丸くなって泥のように眠りこける16歳の我が家の老犬がいた。 見ていると、彼女の後ろ足がトントン、と不規則にピクついている。
……いや、待てよ。これは加齢による神経の衰えなのだろうか?
それとも、かつて若かりし頃に世田谷の公園を縦横無尽に駆け巡っていた記憶の残像を、夢の中で必死に追いかけて走っているのだろうか?
心配性のA型親父は勝手に胸を痛めかけたが、彼女の口元から漏れる微かな寝息があまりに幸せそうだったものだから、「なんだ、ただ夢の中で美味い肉でも追いかけているだけか」と肩の力が抜けてしまった。
昼食を終えてしまえば、本日の予定はすべて終了である。
時計はまだ正午を少し回ったばかりだというのに、まるで一日が完全に完結してしまったかのような濃密な気抜け感。
庭に目をやれば、雨を含んで勢いづく芝生が「早く刈れ」とばかりに伸び放題になっているが、迷走台風と秋雨前線が居座る限り、芝刈り機を引っ張り出す気にはとてもなれない。
来週は雨上がりの通院を祈り、今週はバッテリー上がりを防ぐためだけに、気乗りしない愛車のエンジンをかけて少し走らせる予定だ。
大したドラマは起きない。けれど、遠くの山並みから立ち上る雨霧と、足元で小さく寝息を立てる老犬のぬくもりがあれば、まあ、今日のところはこれで上出来なのだろう。









