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7/19/2026

箱根ヶ崎から乗る、銀河鉄道の普通列車

 1. 旅の始まり――午前四時のプラットホーム

ふと目が覚めると、時計の針は午前四時前を指していた。

枕元で鳴り響くはずの目覚まし時計を先回りして止め、私はそっとベッドを抜け出す。こんな時間に起き出して何をするのかって? 決まっている。汽車旅に出るのだ。それも、あらかじめ時刻表をめくって緻密に計画された旅ではない。頭のなかにふわりと浮かんだ、一泊二日の「妄想のローカル線めぐり」を、そのまま現実のレールへと滑り込ませるための密やかな出立である。

愛車の自転車にまたがり、まだ夜の底に沈んでいる街を駆ける。冷たい夜気が頬を刺すが、それがかえって心地よい。向かうはJR八高線の箱根ヶ崎駅だ。

平頃なら見慣れた橋上駅舎の階段を駆け上がり、自動改札機に切符を滑り込ませる。だが、そのときだ。カツン、と乾いた音を立てて手元に戻ってきたのは、磁気カードではない。なんと、分厚くて四角い、懐かしい「硬券」の乗車券ではないか。それも薄緑色の地紋には、うっすらと「国鉄」の文字が躍っている。

「おや……?」

狐につままれたような気分でホームへ降りると、冷え切ったコンクリートの向こうから、ガタゴトと重低音のジョイント音が響いてきた。朝霧の向こうから現れたのは、ステンレスの現代的な近郊型電車……ではなかった。朱色とクリーム色に塗り分けられた、国鉄色のキハ40系ディーゼルカー。それも一両きりの単行列車が、息を荒くしながら滑り込んできたのだ。

プシューという空気の抜ける音とともに開いたドアから乗り込むと、車内にはかすかな油と煤の匂い、そしてベルベットの青いクロスシートが待っていた。

「さあ、どこへでもお連れしますよ」

振り返ると、そこには紺色の詰襟に金ボタン、手にはパチンと小気味よい音を立てる改札鋏(かいきょうばさみ)を持った車掌が、帽子を目深にかぶって不敵に微笑んでいる。

線路はどこへ繋がっているのか。いや、この際どこでもいい。私の妄想を乗せた銀河鉄道の普通列車は、ゆっくりと、しかし確実に動き出した。

2. 車中の楽しみ――特製カツサンドと、向かいの席の「容疑者」

列車が箱根ヶ崎を出て、関東平野の西の縁をなぞるように走り出すと、車窓の闇はしだいに深い群青色へと変わり、やがて茜色の朝焼けが空を焦がし始めた。

汽車旅の最大の醍醐味といえば、何をおいても車内での食事だろう。私はおもむろに、鞄から「旅のお供」を取り出す。今日のために用意したのは、昭和の食堂車を思わせる、ちょっぴり贅沢な厚切りのカツサンド。そして、まだ冷たい缶ビールだ。

プシュリ。

静かな車内に、じつに品の良い音が響き渡る。朝の光を浴びながら、カツサンドを頬張り、ビールを喉に流し込む。衣に染みた甘酸っぱい濃厚ソースと、ジューシーな豚の脂、そして麦芽の苦味が口の中で完璧な調和を奏でる。レールの「ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン」という一定のプロット(リズム)が、これ以上ないBGMだ。

ふと、私のミステリー作家としてのアンテナが、対面のボックスシートに座る人物を捉えた。

いつの間に乗り込んできたのだろう。外套の襟を立て、膝の上に古びた革のトランクを大切そうに抱えた妙な男だ。年齢は四十前後。茶色い中折れ帽から覗く目元は鋭く、絶えず窓の外の景色を警戒しているように見える。

(さて、彼は何者だろうか?)

私はビールをちびちびとやりながら、頭のなかで軽い「推理」を組み立て始める。 彼のトランクの端からは、わずかに茶色い紙の束が見えている。あれは……古い楽譜、あるいは旧紙幣か? 彼の服装は明らかに1960年代の仕立てだ。

もしや彼は、半世紀前の過去から、ある「重大な未解決事件」の証拠を抱えてタイムスリップしてきた乗客ではないか。このローカル列車は、時代に取り残された迷い人たちを運ぶ、時空のシェルターなのかもしれない。だとしたら、次の停車駅で彼を待ち受けているのは、追っ手の刑事か、それとも――。

男がハッと私の方を向いた。目が合う。彼は小さく会釈をすると、トランクをさらに強く抱きしめた。容疑者(仮)との無言の心理戦。これだから、汽車旅の人間観察はやめられない。

3. 目的地での気付き――地図にない木造駅舎にて

列車はいつしか、八高線の枠を飛び越え、日本海を望む北国の切り立った断崖の上のローカル線へと迷い込んでいた。車窓には、荒々しく波打つ群青色の海と、白泡を立てる海岸線が広がっている。一泊二日の旅路は、時間も空間も引き延ばしていく。

「終点、幻波(げんぱ)――。どなた様もお忘れ物のないように」

車掌の哀愁を帯びたアナウンスに促され、私は冷たい風が吹き抜けるホームへと降り立った。

そこは、潮の香りに満ちた古い木造駅舎だった。改札口には、使い込まれて黒光りする木製のラッチ。駅舎の隅では、だるまストーブがパチパチと音を立てて燃えており、その上でスルメが炙られている。

「旅の人かい」

ストーブの番をしていた地元の老人が、顔の深い皺をクシャリとさせて笑いかけてきた。 「ここはね、行き止まりの駅さ。だけどね、線路っていうのは、ここで終わりに見えても、本当はどこまでも繋がっているんだよ。人の記憶にもね。あんたが乗ってきた列車も、誰かの懐かしい思いが走らせているのかもしれんよ」

老人が差し出してくれた温かいお茶をすすりながら、私は駅舎の窓から錆びついた終着点の車止めを見つめた。

先ほどの「容疑者の男」は、いつの間にか駅の雑踏へと消えていた。彼がトランクに隠していた秘密が何であれ、この終着駅が彼を優しく受け入れたのだろう。 鉄路というものは、地図の上の距離だけでなく、過去から未来へ、そして他人の人生から自分の人生へと、目に見えない線で繋がっている。日常の煩わしさに擦り減っていた心が、その北国の小さな駅で、じんわりと温かいもので満たされていくのを感じた。

4. 結び――再び、箱根ヶ崎へ

ハッと気がつくと、頬に冷たい風が当たった。

「……あ、おしまいだ」

私は自転車のサドルの上で、小さく声を漏らした。 目の前にあるのは、すっかり夜が明けた現代のJR八高線・箱根ヶ崎駅の駅舎。通勤・通学の足を急ぐ人々が、イヤホンを耳に足早に改札へと吸い込まれていく。

すべては、午前四時の目覚まし時計が見せた、極上の「一泊二日の妄想旅」だったのだ。あのキハ40系も、1960年代の乗客も、北国の木造駅舎も、私の脳内という特等席で上映された映画のようなもの。

しかし、不思議なことに、私のポケットのなかには、カツサンドを買ったときのお釣りと一緒に、なぜか固くて小さな厚紙の感触――あの硬券のきっぷが残っているような気がしてならない。いたずらなミステリーの神様が、粋な悪戯を残していったのだろうか。

なぜ、汽車旅(たとえそれが妄想であっても)はこれほど素晴らしいのだろうか。 それは、飛行機のように点から点へ飛び越えるのではなく、線路という一本の線を、一歩一歩踏みしめるように進むからだ。無駄に見える時間の中にこそ、人間らしい豊かな気付きが隠されている。

さあ、妄想の旅は終わりだ。しかし、私の胸には、あのディーゼルエンジンの力強い鼓動と、少し前向きになった自分が確かにいる。

自転車のスタンドを跳ね上げ、私は日常という名の、次なる素敵な旅へ向けてペダルを踏み出した。

夜明けのアシストと、終わらないレール

 

土曜日の午前四時、脱線の始まり

土曜日の午前四時。ふと目が覚めた。

窓の外はまだ白んでおらず、夜の闇がすっぽりと武蔵野の端っこを包み込んでいる。隣に目をやると、長年連れ添ったバーさんと、愛してやまないワンちゃんが、互いに寄り添うようにして静かな寝息を立てていた。その規則正しい呼吸のリズムを聞いているうちに、私の胸の奥底で、全く別のリズムが刻まれ始めた。タタン、タタン。ガタン、ゴトン。


レールのジョイント音である。一度その音が脳内で響き始めると、もういけない。どうにも止まらなくなるのが、鉄道菌に感染した者の悲しい性(さが)だ。私は布団をそっと抜け出し、抜き足差し足でクローゼットへ向かった。

行き先は決まっていない。ただ、どうしてもレールの上を滑る鉄の塊に身を委ねたくなったのだ。ミステリーのプロットに行き詰まったわけではない(と思いたい)が、日常という名の見えないレールから、少しだけ脱線したかったのかもしれない。

バーさんとワンちゃんを起こさないよう、泥棒のように静かに玄関のドアを閉める。外の空気はひんやりとしていて、肺の奥まで吸い込むと、頭の芯がしゃきっとした。

本日の最初の相棒は、10年以上前に買ったヤマハのスポーツタイプ自転車だ。


こいつの素晴らしいところは、何と言っても電動アシストが付いていることである。かつては己の脚力だけで峠を越えることにロマンを感じた時期もあったが、歳を重ねるにつれ、文明の利器は素直に享受すべきだという真理に辿り着いた。

ペダルを踏み込むと、ウィーンという微かなモーター音とともに、見えざる手が背中をぐんと押してくれる。この「アシスト」という感覚が、老体にはたまらなく愛おしい。

車も人も通らない土曜日の早朝。道路はまるで私一人のために用意された滑走路のようだ。夜明け前の青みがかった空気の中、私は八高線の箱根ヶ崎駅へ向かってペダルを漕いだ。風を切る音と、時折遠くで響くカラスの声だけが、この世界のすべてのように思えた。


八高線の同好の士と、高麗川の選択

20分ほど走ると、箱根ヶ崎駅の明かりが見えてきた。

切符を買い、ホームへ降り立つ。時刻は午前5時を少し回ったところだ。5時9分発の高麗川(こまがわ)行きが、すでにホームで静かに私を待っていた。

八高線は、ご存じの通り八王子と高崎を結ぶ路線だが、途中の高麗川を境にして、南側は電化、北側は非電化と表情を変える。この電車は、パンタグラフを誇らしげに掲げた電化区間の主だ。

車内に乗り込むと、案の定、人影はまばらだった。ガタゴトと空気を運んでいるようなものだが、よくよく観察してみると、車室の端っこに私と同じような匂いを発する輩がちらほらと見受けられる。

使い込まれたリュックサック、手には分厚い時刻表(あるいはスマホの乗り換え案内アプリ)、そして車窓を見つめる、虚ろだがどこか熱を帯びた瞳。間違いない、同好の士である。彼らもまた、休日の明け方に理由もなく家を飛び出してきたクチだろうか。いや、もしかすると、これから始まる壮大な廃線跡巡りの第一歩かもしれない。そんな見知らぬ乗客たちの背景を勝手に推理するのも、ミステリー作家のささやかな楽しみである。5時26分、電車は終点の高麗川駅に滑り込んだ。


ここからは、いよいよディーゼル列車の出番である。


5時29分発の高崎行き。乗り換え時間はわずか3分だ。

ホームに降り立った瞬間、カラカラカラ……というアイドリング音と、鼻腔をくすぐる軽油の匂いが私を出迎えてくれた。私は、電線の下を走る「電車」も嫌いではないが、やはり自らのエンジンで動力を生み出す「汽車」という響きに、たまらないノスタルジーとロマンを感じる。

しかし、ここで一つ大きな問題が発生した。

腹が、減った。

それもそのはず、起きてから水一杯飲んでいない。売店を探すが、こんな早朝に開いているはずもない。ふと改札の外に目をやると、駅前のコンビニの看板が煌々と輝いているのが見えた。まるで砂漠のオアシスのように私を誘惑してくる。

走れば間に合うか?

私の脳内コンピューターが瞬時に計算を始める。往復の距離、商品の選択時間、レジの待ち時間、そして現在の私の脚力。導き出された答えは「圧倒的リスク」だった。もし乗り遅れれば、次の汽車は当分来ない。ここであのオアシスに向かうのは、密室殺人のトリックを解く前に犯人を問い詰めるようなものだ。焦りは禁物である。

私はコンビニの明かりに背を向け、泣く泣く高崎まで空腹を我慢することに決めた。


上州への震動と、高崎の全力疾走

5時29分、汽車は定刻通りに重々しいエンジン音を響かせて高麗川を出発した。

床下から伝わる振動が、直接お尻の骨を揺らす。


この物理的な震えこそが、汽車旅の醍醐味だ。車窓からは、徐々に明るさを増していく空と、武蔵野から上州へと連なる山間の景色が流れ始めた。

途中、越生(おごせ)や小川町、寄居(よりい)といった東武鉄道や秩父鉄道との乗換駅で、パラパラと人が降りたり乗ったりを繰り返す。

向かいのボックス席に座ったのは、作業着姿の初老の男性だった。手にはスポーツ新聞が握られているが、目は閉じたままだ。靴には乾いた泥が付着している。夜勤明けなのか、それともこれから山奥の現場へ向かうのか。もし彼が、とある未解決事件の重要参考人で、この鈍行列車を使って巧妙なアリバイを作ろうとしているとしたら……。

そんな荒唐無稽な妄想を膨らませているうちに、窓の外の景色は次第に開け、関東平野の広がりを感じさせるようになってきた。ジョイント音が、タタン、タタンと一定のリズムを刻む。まるで地球の鼓動を聞いているようで、空腹を忘れさせてくれるほど心地よかった。

「ご乗車ありがとうございました。まもなく、終点、高崎です」

車内アナウンスが響き、時計を見ると6時50分だった。

よし、高崎に着いたら、名物の「だるま弁当」か「鳥めし」でも買って、ゆっくり朝食にしよう。そう思いながら時刻表アプリを開いた私の目に、信じられない数字が飛び込んできた。

『両毛線 小山行き 6時53分発』

……間に合うのか? またしても3分しかない!

次を逃せば、私のあてのない旅のリズムが完全に狂ってしまう。高崎駅のホームに降り立った瞬間、私は還暦をとうに過ぎた老体にムチを打ち、階段へ向かって走り出した。

番線すら確認していない。己の勘と、人の流れだけを頼りに階段を上り、コンコースを駆け抜け、別の階段を転がり降りる。「走らないでください」という駅員さんの幻聴が聞こえた気がしたが、止まれるはずがない。発車ベルが鳴り響く中、私は間一髪で両毛線の車両に滑り込んだ。プシューという音とともにドアが閉まる。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

息を整えながら座席にへたり込む。なんとか乗れた。しかし、代償は大きかった。買うべき食料と水は、当然ながら調達できなかったのだ。

ここから次の終着駅である栃木県の小山(おやま)駅までは、約2時間の道のりである。つまり、私はこのまま空腹の状態で、関東平野の北縁を横断しなければならない。腹の虫が「嘘だろ?」と抗議の声を上げている。

だが、窓の外に目をやると、朝日に照らされた赤城山が悠然とそびえ立っていた。その雄大な姿を見ていると、空腹など些細なことに思えてくるから不思議だ。ひもじさを抱えながら、車窓を流れる群馬から栃木への長閑な風景をぼんやりと眺める。この不便さ、この予定通りにいかないもどかしさ。これこそが、パッケージされた観光旅行では味わえない、生身の旅の味わいなのだ。


小山でのオアシス、そして不便という名の贅沢

8時50分。両毛線の電車は、1分の狂いもなく小山駅に到着した。

時刻表通りの運行。この当たり前のように思える奇跡を毎日支えている日本の鉄道員たちに、私は心の中で深い敬意を表した。同時に、私の胃袋も限界に達していた。小山駅での次の乗り換え時間は18分ある。

私は一目散に駅の売店へと向かった。目につく幕の内弁当、お茶、Extraとして……迷った末に、よく冷えた缶ビールを一本、カゴに放り込んだ。バッグがはち切れんばかりの食料と飲料水を買い込み、私はようやく人心地(ひとごこち)がついた。

ホームのベンチに腰を下ろし、冷たいお茶で喉を潤した瞬間、


頭の中の霧が晴れるように、これからの壮大な計画がパズルのピースのように組み合わさっていくのを感じた。

水戸線に乗ろう。そして水戸に出たら水郡線(すいぐんせん)で北上し、郡山から磐越西線へ。いや、そこから只見線に抜けるのも悪くない。東北の険しい山々を縫うように走るローカル線の数々。どこで日が暮れるのか、どこで終電車となるのか、今夜はどこの駅のベンチ(あるいは運良く見つけたビジネスホテル)で眠ることになるのか。今はまだ何も分からない。

分からないからこそ、旅は面白いのだ。

「まもなく、水戸行きが発車いたします」

アナウンスに促され、私は水戸線の車両に乗り込んだ。ここから水戸駅まで、1時間17分の旅の始まりである。列車が静かに動き出し、再びあのタタン、タタンというジョイント音が響き始める。

北関東の横断へと乗り出した私の目に映る車窓の主役は、勇壮な赤城山から優美な筑波山へとその役目を譲り、初夏の瑞々しい水田が地平の彼方まで延々と続いている。その単調ながらも力強い色彩は、都会の喧騒を忘れさせるには十分すぎるほどであった。

時計の針が10時半を回る頃、列車は水戸駅のホームへ滑り込んだ。未明の闇を自転車で切り裂き、自宅を後にしてから、すでに関東平野を半周ほど描き出したことになる。今ごろ、留守番を押し付けられたバーさんと、愛くるしいワンちゃんは、ようやくまどろみから覚め、主の不在に首を傾げているに違いない。還暦をとうの昔に越えた老いぼれが、気まぐれに身を委ねるあてのない汽車旅。そんな自分勝手なロマンも、たまには許されても良いだろう。

ここからは、本日の旅の白眉とも言える水郡線への乗り換えだ。しかし、開いた時刻表を前に、私は思わず口元を緩めた。

郡山まで直通する列車は、3時間以上も先の午後3時過ぎまで現れない。4時間半に及ぶ空白である。分刻みのスケジュールに追われる者なら溜息をつく場面だろうが、私は密かに快哉(かいさい)を叫んだ。不便さの中にこそ旅の醍醐味がある。これは、その土地を深く味わえという、鉄道の神様が授けてくれた贅沢な猶予なのだ。


奥久慈の気動車、ビールと滝の轟音

次に狙いを定めたのは、11時15分発の水郡線・常陸大子(ひたちだいご)行きだ。入線してきた気動車から漏れる、あのブルブルとお腹の底を揺さぶるアイドリング音が心地よい。

私は気動車に乗り込み、袋田(ふくろだ)駅での途中下車を決め込んだ。目指すは日本三名瀑の一つ、袋田の滝。水郡線のキハE130系は、軽快なエンジン音を響かせながら久慈川に沿って高度を上げていく。進行方向の左側に陣取れば、蛇行する川面と迫りくる深い緑のコントラストが、まるで一幅の絵画のように車窓を埋め尽くした。風が吹けば、川のせせらぎさえ聞こえてきそうな距離感である。

車窓を流れる美しい風景を肴に、小山駅で買い込んだ幕の内弁当の蓋を開け、缶ビールのプルタブを引き抜く。プシュッという炭酸の弾ける小気味よい音が、新たなる旅立ちのファンファーレとなって、唸りを上げるエンジン音に溶け込んでいった。冷えた液体を喉に流し込めば、タタン、タタンという一定のリズムは、この上ない極上のBGMへと昇華した。

ふと前方へ目を向けると、ボックス席の対面に、巨大なリュックを抱えた若者が陣取っていた。彼の指先にこびりついた微かな土の汚れが気にかかる。地質学に没頭する学生か、あるいは山中の奥深くに何かを隠してきたワケアリの男か。すれ違う乗客の背景を勝手にプロット化してしまうのは、ミステリー作家の悲しい習性だ。そんな妄想を肴に傾ける車上の酒は、どうしてこうも格別の味わいなのだろうか。

袋田の駅からバスに揺られ、滝の懐へと足を踏み入れる。観瀑トンネルを抜けた瞬間、耳を劈(つんざ)く轟音と共に、天から降り注ぐ巨大な水壁が姿を現した。


高さ百二十メートル、四段の岩肌を滑り落ちる清流は、時に白絹のように繊細で、時に猛る龍のように勇猛だ。飛散する水しぶきがマイナスイオンとなって全身を包み込み、長旅で凝り固まった身体が、肺の奥からゆっくりと解き放たれていくのを感じた。


夜の帳と、極上の受動態

再び水郡線に乗り込み、夕暮れ時を走る16時38分発の郡山行きに揺られる。緑のトンネルを抜け、奥久慈の山々を越えて18時32分に郡山へ辿り着く頃には、世界はすっかり夜の帳に包まれていた。

ここで本日の締めくくりとなる、19時15分発の磐越西線・会津若松行きへ乗り換える。闇を映す窓ガラスは鏡のように、旅の疲労を滲ませた自分の顔を突きつけてくる。漆黒に沈んだ磐梯山の麓を駆け抜け、列車は古き城下町へとひた走る。

20時28分、終点の会津若松に到着。キリリと冷えた夜気に触れ、私は深く息を吐き出した。
なぜ、人はこれほどまでに「汽車旅」に惹かれるのだろうか。
それはきっと、日常という名の責任から一時的に解放され、決められた鉄路に己の身を委ねるという、極上の受動態を味わえるからだ。自分の足で歩かなくても、景色の方から勝手に流れてきてくれる。すれ違う人々は、皆それぞれの人生の途中であり、私はただの傍観者でいられる。この「不自由さ」の中にこそ、日常から隔絶された真の「自由」が宿っているのに違いない。
さあ、あてのない旅を続けよう。バーさんとワンちゃんには、後で適当な言い訳を考えるとして。
ガタン、ゴトン。レールの音は、いつまでも終わらない物語のように、私の胸の中で心地よく響き続けていた。


明日の朝は、阿賀野川を包む朝霧を愛で、千曲川を友とする飯山線に身を委ねるつもりだ。果てしなく続くレールの先に思いを馳せながら、私は今夜の寝床を求めて、見知らぬ町の灯りの中へと歩みを進めた。


(つづく)

退屈な午前の特効薬 ―― 台風前夜、キハの揺れと犬の体重 

短編小説「汽車がいい」 (Author_senta)


今日から早朝散歩の時間を切り上げ、午前4時半に出発することにした。


台風接近のせいか、頬を撫でる風はひんやりと涼しい。


我が家の愛犬(体重4.8キロ)は涼しさのおかげでいつもより元気に見えるが、


どういうわけか食欲はないようだ。


家に帰って日課の血圧を測れば、上は130台後半、下は80前半とすっかり安定してきた。


ジーさんの体重は58キロ。犬ともども、これが良いのか悪いのか。老いの坂を下る身としては、


現状維持こそが至上の喜びなのかもしれない。


しかし、朝活を早く済ませてしまうと、午前中にはすっかりやる事がなくなってしまった。


テレビでMLBの中継を時々眺めながら、PCに向かって流行りのAIの勉強をしてみる。


昔の建築図面を取り出してAIに読み込ませたらどうなるだろうか、などと実験を企て、


ついでに銀行の出入金記録を出して家計調査をする。


さらに写真を整理しようとAdobeのLightroom Classicを動かしてみたが、


エラーばかりでちっとも使えない。


「アドビももう駄目だな。今年でサブスク終わりにしよう」


誰もいない部屋で1人つぶやいた時、ふと気づいた。明日は台風で一日雨の予報だ。


明日何をするか悩むくらいなら、今日、この涼しい時間を利用して出かけてしまえばいい。


PCの電源を落とし、私は家を飛び出した。そうだ、汽車に乗ろう。


1. 旅の始まり:逃避行の切符

思い立ったが吉日。私は八高線の高麗川(こまがわ)駅に立ち、のんびりと気動車を待っていた。

非電化区間を走るキハ110系ディーゼルカーである。駅のキオスクでよく冷えた缶ビールと、

素朴な幕の内弁当を買い込む。やがて、カラララ……という重低音のアイドリングを響かせながら、

緑と白の車体がゆっくりとホームへ滑り込んできた。

都会の喧騒から切り離されたこの瞬間の、油の匂いと鉄の擦れる音がたまらない。


2. 車中の楽しみ:流れる景色と推理の遊戯

ボックスシートの進行方向側に陣取り、さっそく缶ビールのプルタブを引く。

プシュッという小気味よい音とともに、喉の奥に苦味が染み渡る。

ゴトン、タタン。ゴトン、タタン。

気動車特有の、少し重みのあるレールのジョイント音が、

退屈だった私の心拍数を心地よいリズムへと変えていく。窓の外には、

台風の接近を告げるどんよりとした、しかしどこか水墨画のように劇的な秋の空が流れている。

斜め向かいの席には、大きなリュックを抱えた初老の男性が座っている。

手にはタブレット端末。しきりに画面をスクロールしているが、

時折眉間に深いシワを寄せているところを見ると、彼もまた私と同じように、

何かのデジタルツールに弄ばれているのかもしれない。

いや、あの指のせわしない動き、

ひょっとすると時刻表アプリの乗り継ぎ案内と睨めっこしているのではないか。

だとしたら、越生(おごせ)で東武線に抜ける算段か、

それとも終点の高崎まで乗り通すのか――。ミステリー作家の悪い癖で、

ついすれ違う乗客の人生のダイヤグラムを推理してしまう。


3. 目的地での気付き:アナログの手触り

列車はのんびりと関東平野の縁を北上し、私は小川町駅でふらりと途中下車をした。

和紙の里としても知られるこの街は、駅前の路地に古い食堂や、

かつての面影を残す建築物が点在している。

見事な梁を持つ古い建物を眺めていると、

先ほどPCで読み込ませようとしていた建築図面を思い出した。

AIは図面の線をデータとして瞬時に解析するだろう。しかし、

この木造の柱に染み込んだ雨風の匂いや、行き交った人々のざわめき、

そして手仕事で木を組んだ大工の息遣いまでは計算できまい。

通りすがりの老夫婦が「明日は大荒れだねえ」と空を見上げて笑い合っている。

人と人が交わす何気ない言葉の温度。それもまた、

汽車旅が教えてくれる「血の通った」アナログの良さである。

デジタルに疲れ、エラーに腹を立てていた午前中の自分が、なんだかとてもちっぽけに思えてきた。


4. 結び:だから汽車旅はいちばん良い

駅のホームに戻り、帰りの列車を待つ。遠くから近づいてくる一筋のヘッドライトの光。

レールが微かに震え、自分を迎えにくるこの瞬間が好きだ。

なぜ「汽車旅」がいちばん良いのか。

それは、自分という厄介な荷物を列車に放り込んでしまえば、

あとはレールが勝手に人生のページをめくってくれるからだ。

行き詰まった日常も、サブスクの解約手続きも、すべて窓の外の風が持ち去ってくれる。

明日は台風で一日雨だ。

しかし、今日のこのディーゼルの揺れと缶ビールの余韻があれば、

雨音をBGMに家で愛犬を撫でながら、のんびりと過ごすのも悪くない。

そう思えるのだから、やはり汽車旅は人生の特効薬なのである。



The Ultimate Remedy for an Idle Morning: A Diesel Journey Before the Storm

My day had begun far too early. By 4:30 AM, I was already out for my morning stroll, enjoying the unseasonably cool breeze signaling an approaching typhoon. Back home, my blood pressure was a reassuring 130 over 80, and while my 4.8-kilogram dog lacked his usual appetite, he seemed spirited enough in the cool air. As for myself, holding steady at 58 kilograms, I wondered if maintaining the status quo is the ultimate luxury of old age.

But having conquered my morning routine before the sun was fully up, I found myself entirely bereft of things to do. I toyed with some AI studies on my PC, fed it old architectural blueprints just to see what would happen, and cross-referenced some mundane bank records. I even tried organizing my photos, but Adobe Lightroom threw a fit of errors. Muttering, “I think I’m done with Adobe this year,” I shut down the machine. With a full day of rain forecast for tomorrow, I realized there was only one logical conclusion: it was the perfect day for an aimless escape. I needed a train.

1. The Departure: A Ticket to Nowhere

There is a unique kind of salvation to be found on the platform of Komagawa Station, waiting for the Hachiko Line. In an era obsessed with silent, sleek electric commuters, the Kiha 110 series diesel railcar is a gloriously analog beast.

I purchased a classic Makunouchi bento and a chilled can of beer from a station kiosk, clutching my paper ticket like a passport to another world. Soon, the heavy, guttural kararara of the idling diesel engine echoed through the station. The green and white carriage slid up to the platform, bringing with it the faint, nostalgic scent of iron dust and mechanical oil. It is the perfume of wanderlust, instantly washing away the frustrations of crashing software and digital fatigue.

2. The Moving Canvas: Beer, Blueprints, and Bystanders

Securing a box seat facing the direction of travel, I wasted no time pulling the tab on my beer. The sharp pssh was followed by the crisp, bitter reward of the first sip.

Clack-clack. Clack-clack.

The rhythmic, weighty joint-sounds of the non-electrified track acted as a metronome, slowing my racing thoughts to a comfortable amble. Outside the window, the sky was a dramatic, ink-wash grey—a quiet prelude to the coming storm, painting the passing fields of the Kanto plain in muted, melancholic tones.

My mystery writer’s instincts soon turned to the passenger sitting diagonally across the aisle: an older gentleman with a bulky rucksack, frowning intently at a tablet. His fingers swiped with a hurried rhythm. Was he battling a stubborn app, much like my morning struggles with Lightroom? Or perhaps he was consulting a digital timetable, calculating a tight transfer to the Tobu Line at Ogose? Maybe he was riding all the way to Takasaki to chase a memory. I smiled into my beer. Surrendering to the idle deduction of a stranger's itinerary is one of the finest side dishes a train journey can offer.

3. The Destination: The Warmth of the Analog

I decided to disembark on a whim at Ogawamachi, a town historically famous for traditional washi paper. Wandering the quiet alleys near the station, I admired the heavy, time-worn wooden beams of an old dining hall.

Looking at the physical structure, I thought back to the architectural blueprints I had been feeding into my AI earlier that morning. An AI can instantly analyze the geometry of lines on a screen, but it can never calculate the scent of rain-soaked timber, the decades of human chatter absorbed into the walls, or the breathing craftsmanship of the carpenters who built it.

As I stood there, an elderly couple walked past, looking up at the heavy clouds. “Looks like it’s going to be a rough one tomorrow, eh?” the man chuckled to his wife. The warmth in that simple, passing exchange reminded me of what I had been missing all morning. It was the same undeniable, human pulse I felt in the rumble of the diesel train.

4. Conclusion: Why Train Travel is the Best

Back on the platform, I waited for the return train. In the distance, a solitary headlight pierced the gloomy afternoon, and the rails began to hum with a faint vibration. I love this moment—the realization that something massive and steadfast is coming just for you.

Why is train travel the absolute best? Because once you heave your weary self and your accumulated mental baggage onto that carriage, the steel rails take over. They turn the pages of your life's story for a few hours, entirely without your effort. The stalled hobbies, the canceled subscriptions, the dread of tomorrow's heavy rain—the wind outside the window carries it all away.

Tomorrow, the typhoon will bring a deluge. But with the lingering vibration of the diesel engine in my bones and the aftertaste of a cold station beer, I know I will be perfectly content sitting at home, listening to the rain and petting the dog. Yes, without a doubt, a train journey is the finest remedy of all.


5/30/2026

"The Person Next to Me" Season I(小説「となりのひと」英語版)

 


小説「となりのひと」seasonⅠの英語版の完結編完成です。

A gentle watercolor painting of a solitary older man looking out a bus window at a glowing Tokyo cityscape at dusk. The title "The Person Next to Me" is written in an elegant, nostalgic font in the center.

日はシルバーパスを相棒に、あてのない都内バス旅に出かけてみました。となりに座る見知らぬ人たちは、一体どんな人生を歩んでいるのでしょう? ちょっと贅沢な帰路も含めた、ある老人の小さなお話です。」

5/28/2026

『【敗北】朝活カメラマンの憂鬱:幻のパンを求め6キロ彷徨い、膝の痛みに負けて路線バスに寝返った男の記録』

 

水分をたっぷりと溜め込んだ夏の重たい風が、まるで明確な殺意を持って私を狙撃してくる朝である。 そもそも「朝活」などという健康的な響きの言葉は、老体に鞭打つ過酷な行軍を誤魔化すためのペテンに過ぎない。今日はいつもの川沿いをひたすら下るルートを選んだ。川面を撫でてくる風が新緑の青臭い香りを運んでくるのは悪くないのだが、どうも膝の調子がおかしい。湿度のせいだろうか、一歩踏み出すごとに膝の関節がギシギシと不穏な悲鳴を上げている。まったくもって由々しき事態だ。

目の前に見えてきた橋を渡り、ここまで付き合ってくれた川とお別れをする。ここからが過酷な陸上戦の始まりだ。 行く手に立ちはだかるのは「微妙な傾斜の坂道」である。若者なら鼻歌交じりで駆け上がる程度の斜度だが、こちらの老体にとってはヒマラヤのデスゾーンに等しい。頂上に着く頃には息も絶え絶えになり、ゼエゼエと肩で息をしながら無様な小休止を取る羽目になった。交差点の信号を睨みつけ、青に変わると同時に重い足を引きずって目的地へと突入する。

自動ドアの向こうは、あらゆる雑貨が渦巻く資本主義の底なし沼「100円ショップ」である。 しかし、ここには強力なエアコンという神の恩恵があった。熱をたっぷりと溜め込んだ私の肉体を、冷気が一気に冷却していく。バーさん(妻)から下された絶対的な指令(おつかい)の品と、私のささやかな買い物をカゴに放り込む。これが本当に100円玉一枚で買えるのか。裏で恐ろしい陰謀が動いているのではないかと毎度疑うのだが、事実は事実だ。

次なるミッションはパン屋である。しかし時計はまだ正午前。パンが焼き上がっているかどうかが勝敗を分ける。 勇んで店に突入したが、私の欲するパンの姿は棚のどこにもなかった。痛恨の空振りである。無念の思いを噛み殺し、次の目的地である図書館へ向けて行軍を再開する。 すでに6キロを踏破している。膝はいよいよ限界に近い。あと少し、あと少しだ……と自分を鼓舞していたその時、目の前の停留所に一台のバスが滑り込んできた。プシューというドアの開く音が、私を甘く誘惑する。朝活ウォーキングという当初の崇高な志は一瞬にして木っ端微塵に砕け散り、私はなんの躊躇もなくその鉄の箱へと吸い込まれていった。完全なる敗北である。

平日の午前中、図書館は暇を持て余したような静寂に包まれていた。 予約していた3冊の活字の塊に加え、ふと目についた1冊を追加し、合計4冊をリュックにねじ込む。ズッシリとした重みが肩に食い込む。 そういえば、私は今日「朝活カメラマン」として意気揚々と家を出たのではなかったか。しかし、iPhoneのカメラロールを確認すると、そこにはモワッとしたどんより空を恨めしそうに撮った1枚の画像しか残されていなかった。帰ったらよく冷えたビールでも飲んで、さっさと昼寝をしてしまおう。そんな哀愁と少しの虚無感を背負い、私はバスに揺られて帰路につくのである。


 "It is a morning where the heavy summer wind, bloated with moisture, seems to snipe at me with clear murderous intent.\n\nTo begin with, a healthy-sounding word like 'Asa-katsu' (morning activity) is nothing more than a scam to gloss over a grueling forced march that flogs an aging body. Today, I chose a route marching steadily downstream along the usual river. It's not so bad that the wind brushing the river surface carries the grassy scent of fresh greenery, but there is something wrong with my knees. Perhaps due to the humidity, my knee joints let out ominous, creaking screams with every step I take. It is an absolutely grave situation.\n\nI cross the bridge visible ahead, bidding farewell to the river that had kept me company thus far. From here, the brutal ground war begins. Standing in my way is a 'slope with a subtle incline.' For the youth, it's a gradient they would sprint up while humming, but for this old body, it's equivalent to the death zone of the Himalayas. By the time I reach the summit, I am gasping for air, forced into a pathetic short rest while heaving by my shoulders. Glaring at the traffic light at the intersection, I drag my heavy feet into the destination the moment it turns green.\n\nBeyond the automatic doors lies the bottomless swamp of capitalism, swirling with all sorts of miscellaneous goods: the '100-Yen Shop.' However, here lay the divine blessing of a powerful air conditioner. The cold air instantly cools down my body, which had accumulated a massive amount of heat. I toss the items for the absolute directive (errand) handed down by the 'Baa-san' (wife), along with my own modest purchases, into the basket. Can you really buy this with a single 100-yen coin? I always suspect some terrifying conspiracy is operating behind the scenes, but a fact is a fact.\n\nThe next mission is the bakery. But the clock hasn't struck noon yet. Whether the bread is baked or not will decide victory or defeat. I bravely charge into the store, but the bread I desire is nowhere to be seen on the shelves. A bitter swing and a miss. Biting back my chagrin, I resume my march toward the next destination: the library.\n\nI have already covered six kilometers. My knees are nearing their absolute limit. Just a little further, just a little further... just as I was trying to inspire myself, a route bus smoothly glides into the stop right in front of me. The 'pshhh' sound of the doors opening seduces me sweetly. The original, noble aspiration of an Asa-katsu walk is smashed to smithereens in an instant, and without a single moment of hesitation, I am sucked into that iron box. It is a complete and utter defeat.\n\nOn a weekday morning, the library is enveloped in a silence that seems to have too much free time. I shove a total of four books—three reserved chunks of printed text, plus one that happened to catch my eye—into my backpack. A heavy, solid weight digs into my shoulders.\n\nCome to think of it, hadn't I left the house in high spirits today as an 'Asa-katsu photographer'? However, checking my iPhone's camera roll, there is only a single, lethargic image of the muggy, gloomy sky, taken with a sense of resentment. Once I get home, I'll just drink a well-chilled beer and take a nap right away. Carrying such sorrow and a slight sense of emptiness on my back, I rock in the bus on my way home.",


【決断】猛暑の朝活か、大谷vs菅野の死闘か。

 『100均とフランスあんぱんに翻弄された男の午前中ロードムービー』


そもそも「朝活」などというこじゃれた言葉は、どうにも背中がむず痒くなるのである。 すでにジリジリと気温が上がり始めた空を恨めしく睨みつつ、私は玄関で立ち尽くしていた。一眼レフという重火器は放り出し、今日はiPhoneという薄っぺらい板切れのみをポケットにねじ込んだ「単独軽装カメラマン」としての出撃である。準備は万端なのだが、ここで由々しき問題が発生した。移動手段として原始的な「徒歩(ウォーキング)」を選ぶか、近代文明の利器「自転車」に頼るかという、壮絶な脳内会議が幕を開けたのである。

行く手に立ちはだかるのは「午前10時の壁」だ。 生活必需品を補給するため、100円ショップというあらゆる雑貨が渦巻く魔窟の攻略は必須。さらに、オープンと同時にパン屋へ突入し「フランスあんぱん」という魅惑の糖分塊を無事に捕獲しなければならない。そして帰路には街の図書館に立ち寄り、椎名誠、三浦しをん、重松清という活字の三巨頭を借り受けるというミッションも控えている。

なぜ私が自転車か徒歩かでここまで苦悩しているのか。それはタイムリミットが「正午12時」と厳格に定められているからである。 12時。太平洋の向こう側では、ホワイトソックスの菅野とドジャースの大谷というサムライたちによる、血湧き肉躍る投げ合いがプレイボールを迎えるのだ。これを見逃す手はない。徒歩の歩兵部隊で進軍すれば、時間はカツカツのデッドヒートになる。自転車の機械化部隊ならば機動力は格段に上がるが、朝のウォーキングという当初の崇高な目的が木っ端微塵に砕け散る。

結局、時間的制約と己の肉体的軟弱さを考慮し、私はママチャリに跨がった。 しかし戦場は甘くはなかった。100均の魔力に当てられて不要な便利グッズまで買い込み、パン屋ではフランスあんぱんの甘い香りに敗北して余計なパンまでトレイに乗せてしまった。極めつけは図書館である。ハードカバーを含む三冊の本の重量が、リュックを通してずっしりと肩に食い込む。灼熱の太陽の下、汗だくになりながら必死でペダルを漕ぐ姿は、もはや敗残兵の無惨な撤退戦であった。

どうにか12時少し前に部屋へ転がり込む。 ドッカリと座り込み、冷えた麦茶を喉に流し込みながらテレビのスイッチを入れる。画面の向こうではメジャーリーガーたちが涼しい顔で対峙しているが、こちら側はすでに疲労困憊で目の焦点が定まらない。買ってきたばかりのフランスあんぱんをわしわしとかじりながら、なんとも言えない哀愁と虚無感のなかで、私の休日は静かに過ぎていくのである。

Frankly, the fancy term "morning activity" makes me feel uneasy.

I stood frozen in the entryway, glaring resentfully at the sky, where the temperature was already rising steadily. I'd abandoned my heavy weapon, the DSLR, and today I was deploying as a "lightly equipped solo photographer," with only my flimsy iPhone crammed into my pocket. I was fully prepared, but a serious problem arose. A fierce internal debate began: should I choose the primitive method of "walking" as my mode of transportation, or rely on the modern convenience of "bicycle"?


Standing in my way was the "10 AM wall."


To replenish my necessities, conquering the 100-yen shop, a labyrinth of all sorts of goods, was essential. Furthermore, I had to storm the bakery as soon as it opened and successfully capture that tempting sugary lump known as "French Anpan." And on the way back, I had a mission to fulfill: a stop at the city library to borrow books by the three giants of the written word: Makoto Shiina, Shion Miura, and Kiyoshi Shigematsu.


Why was I agonizing so much over whether to cycle or walk? Because the time limit was strictly set at "12 noon."


12 noon. Across the Pacific Ocean, the thrilling pitching duel between the samurai, Sugano of the White Sox and Ohtani of the Dodgers, would begin. I couldn't miss this. If I advanced as an infantry unit on foot, it would be a neck-and-neck race. A mechanized unit on bicycles would have significantly increased mobility, but my original noble purpose of morning walking would be shattered into a million pieces.


Ultimately, considering the time constraints and my own physical weakness, I mounted my city bike.


However, the battlefield was not so easy. I succumbed to the allure of the 100-yen store, buying unnecessary gadgets, and at the bakery, I succumbed to the sweet aroma of French anpan (sweet bean paste buns), adding extra bread to my tray. The final straw was the library. The weight of three books, including a hardcover, dug heavily into my shoulders through my backpack. Under the scorching sun, my desperate pedaling, drenched in sweat, resembled the pathetic retreat of a defeated soldier.


I somehow managed to collapse into my room just before noon.


I slumped down, gulped down some cold barley tea, and turned on the TV. Major League baseball players faced off with cool expressions on the screen, but I was already exhausted, my eyes barely focused. As I munched on the French anpan I'd just bought, my holiday quietly passed by amidst an indescribable sense of melancholy and emptiness.

5/22/2026

小説「となりのひと」seasonⅡ 田舎への移住完了

  小説「となりのひと」seasonⅡ となりのバーさん

田舎への移住も無事に終わって田舎での生活が始まります



小説「となりのひと」seasonⅠ 現在地は吉祥寺

 小説「となりのひと」seasonⅠ バス旅

多摩の奥 青梅のJR駅前からのバス旅は

吉祥寺駅前に到着です




5/21/2026

小説「となりのひと」seasonⅡ となりのバーさん

 小説「となりのひと」seasonⅡ となりのバーさん

ここは東京、世田谷。公園の緑を望むマンションで、私は妻と二頭の愛犬と共に穏やかな日々を過ごしていた。しかし、2020年の春。海の向こうから舞い込んだ厄介な流行り病が、その平穏を根底から覆した。


街からは活気が消え、代わりに漂い始めたのは死の影だった。特に高齢者たちは、出口の見えない恐怖の中で孤独に死と向き合うことを強いられた。追い打ちをかけるように発出された外出自粛の要請は、形を変えた「孤独刑」のようでもあった。

公園の緑を望むマンションでの生活

近所付き合いという唯一の接点を断たれた老人たちは、静まり返った部屋で独り、ボケや孤独死の恐怖に震える。住み慣れたこの場所を捨ててでも、安全な地方へ逃れるべきか。「疎開」という、今の時代には似つかわしくない言葉が現実味を帯び始めた。


それは、あの重苦しく、暑い2020年の夏の記憶である。

 

小説「となりのひと」のふかぼり解説動画です、ご覧いただくと状況が詳細にわたって伝わってきますのでご覧ください。

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第一章 辿り着いた村

辿り着いた村

リモートワークの普及で混雑の消えた郊外行きの電車を乗り継ぎ、私たちは「疎開先」へと向かっていた。今の住まいから電車とバスを乗り継いで二時間半。東京都内とはいえ、そこは山あいの斜面にへばりつくように点在する集落だった。押し寄せる高齢化の波を象徴するような、いわゆる限界集落。ポツリポツリと建つ家々の中には、生活の匂いすら絶えて久しい廃屋も混じっている。だが、この朽ちていくような静けさが、今の私にはなぜか心地よく感じられた。

近隣には、道路を挟んで左右に一軒ずつ、そして少し奥まったところにもう一軒、合わせて三軒の家が見える。すぐ隣という距離ではないが、この地では立派な「お隣さん」だ。(仲良くやっていかなければな……)そんな殊勝な覚悟を胸に、私は引越しの荷解きを急いだ。

 

夕刻、片付けに区切りをつけて挨拶回りに出る。まずは向かって左の家、続けて右、最後に奥の家。しかし、どの玄関で声を張り上げても、三軒とも応答はない。「……まあ、まだ早い時間だしな。出直そう」私は自分に言い聞かせ、一度家へ引き返すことにした。

手持ちの懐中電灯だけの灯かりで

帰る道すがら、辺りは急速に夜の闇に飲み込まれていく。手持ちの懐中電灯だけが頼りだ。慣れない夜道を、足元を確かめながら慎重に歩く。それにしても、暗すぎる。かつて住んでいた街なら、一晩中どこかの看板や街灯、行き交う車の灯りが道を照らしていた。足元を照らす電灯など、持ち歩いたことすら無かったのに。ここは疎開先なのだ。仕方のないことだと、自分を納得させる。家に着くと、愛犬の「いちご」が私たちを歓迎する声を上げた。静まり返った田舎の夜に、その声が驚くほど大きく響き渡る。(ご近所迷惑にならないだろうか……)都会にいた頃の癖で、つい周囲を気にして胃がキュッとなる。近所といっても、あんなに離れてはいるのだが。

 

翌日。日が落ちかけ、空が紫に染まる頃、私は再び挨拶に向かった。順番などどうでもいいはずなのに、一度決めた通り「右側の家」から訪ねるのが私の性分だ。呼び鈴を鳴らす。返事はない。少し間を置いて、もう一度。……やはり無言。

 

少し離れた位置からその家を観察してみる。月明かりの下で見ると、家屋はひどく朽ちているようにも見えた。空き家なのか、それともたまたま留守にしているだけなのか。

あれこれと推測しながら、私はその場を後にした。

その時だ。背後で、何かが小さく鳴ったような気がした。振り返ると、遠くに先ほど訪ねた家の窓が、ぼんやりと薄暗く光っているのが見えた。

「え……?」

見間違いかと思い二度見したが、確かに明かりが灯っている。居たのだ。きっと、何らかの理由で応答できなかっただけなのだ。私は自分を納得させるように、家路を急いだ。「今夜はもう遅いから、また明晩にしよう」隣を歩く連れ合いの花奈(はな)さんにそう話しかけながら、私たちは暗闇の中を進む。

「二人と一匹」疎開を決断した者たち

花奈さん。私の「ばーさん」であり、この物語の伴走者だ。そして私は、この物語の主人公の一人、専太(せんた)。もう一人の主人公は、元気に尻尾を振る「いちご」。この「二人と一匹」が、疎開を決断した者たちだ。この村、この限界集落で。不思議な人間模様と、現代の歪みが織りなす、私たちの新しい物語が静かに始まった。


次回改訂版をお待ちください。

小説「となりのひと」seasonⅠバス旅

  

小説「となりのひと」(改訂版)


 となりにいる人は、どんな人だろう。


 バスの揺れる座席で、電車の向かいの席で、あるいは雑踏の中で袖振り合う、見知らぬ誰か。ふとした瞬間に、そんなとりとめもない問いが頭をよぎる。  自分と同世代だろうか。どこに帰る家があり、どんな暮らしを紡いでいるのだろう。独り身の気ままな生活か、それとも誰かの帰りを待っているのだろうか。



 窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、ひとり微笑む。  きっと周りからは「変な人」と映っているかもしれない。いや、薄気味悪い老人だと敬遠されているだろうか。まあ、どうでもいい。私も周りの人たちと同じように、ただここに存在し、流れる景色の一部になっているだけなのだ。それのどこがおかしいというのだろう。


一章 バス停にて



 のどかな郊外の街から、大都会・東京へ。少し長距離の旅になるが、急ぐ旅路ではない。バスならば時間はかかれど、乗り換えのたびに階段を上り下りする必要もない。若い頃のように強靭ではない今の足腰には、タラップを数段上がるだけで済むバスの優しさが身に沁みる。  それに、東京都内区間に入れば、財布から小銭を探す手間もいらない。電車ほど本数はなくとも、私にとってはこれ以上ない便利な相棒だ。


 バスを待つ時間も、また一興である。  乗り継ぎの旅では、様々な人が隣に着座する。平日の昼間ともなれば、若い子と隣り合わせることは少なく、もっぱら同世代や年配の方々が旅の道連れとなる。会話が生まれることは稀で、ただ互いにバスの振動に身を任せる沈黙の時間。  そこで、私の悪い癖が出る。退屈しのぎの心の中で、「お隣さん観察」が始まってしまうのだ。他意はない。単なる老人の興味と、尽きせぬ好奇心からである。


 私は旅が好きだ。それも、お金のかからない小さな旅、「シルバーパスの旅」が。  東京都では、七十の坂を越えると、この魔法のパスが僅かな負担で手に入る。都内を走る民営バス、都営バス、都営地下鉄、そして都電荒川線。一部の例外を除き、都内の毛細血管のように張り巡らされた公共交通を、縦横無尽に行き交うことができる通行手形だ。


 これに乗って当てもなく旅をするのが、何よりも好きだ。尽きない好奇心を満たす、まだ見ぬ景色。初めて降り立つ街の彩り、匂い。そして、隣り合わせた人との、言葉を交わさぬ一期一会。そんなささやかな可能性を秘めた旅が、たまらなく好きなのだ。


 さて、定刻だ。遠くからエンジンの音が近づいてくる。バスに乗り込むとしよう。



二章 バス乗車


 ここは、都バスが走る東京の西の端。名前も知らぬこの停留所から、今日の小さなバス旅が幕を開ける。  停留所の時刻表に目をやると、隣のバス停の欄は空白が目立つ。いわば「バスの来ないバス停」だ。朝夕の一部にしか数字が刻まれていない。さすがにそこから旅を始める勇気は、私にはない。一体どんな人が利用するのだろうと想像力が刺激されるが、今日のところは冒険はよしておこう。


 プシューッという音と共に、バスが扉を開けた。乗客は私一人。贅沢な「貸し切り」状態だ。  エンジンが唸りを上げ、出発する。実のところ、行き先はよく分かっていない。車内アナウンスで聞けばいいだろうと、高を括って調べもせずに乗り込んだのだ。この銀色の箱は、私を一体どこへ連れて行こうというのか。

 バスは東の方角へ向かっているようだ。車内アナウンスが流れ始めたが、運転手さんの声がマスク越しだからかボソボソとして、上手く聞き取れない……。  やがて次のバス停に到着した。乗客はいるかと窓の外を見ると、お婆さん二人組が待ち構えていた。


 二人は乗り込むなり、大きな声でのお喋りに夢中だ。一向に座ろうとしない。これでは危なくて発車できないではないか。見かねた運転手さんが、マイク越しに少し声を張って着席を促す。二人がようやく腰を下ろすのを待って、バスは再び走り出した。  行き先不明の不安を乗せたまま、静寂に包まれていた車内は、一気に賑やかな社交場へと変貌した。



 車内に響き渡る会話の内容を推測するに、この後どこかのファストフード店でコーヒーでも飲みながら時間を潰し、スーパーの開店を待つ……大まかにはそんな作戦会議のようだ。  聞こうと思わずとも、鼓膜を震わせる大声が飛び込んでくる。きっと耳が遠いのだろうと一人で勝手に納得しつつ、私は再び、聞き取りづらい行き先案内に耳を澄ます。


 ……しかし、肝心の案内はまだない。


 朝のラッシュを過ぎた時間帯。私と賑やかな二人組だけを乗せ、バスは大通りの街道をひた走る。  待ち人の居ないバス停を、いくつもいくつも通過しながら進んでいく。この辺りの郊外では、車がなければ生活が成り立たないのだろう。乗客は免許を返納したお年寄りばかり。この中途半端な時間に、新たに乗り込んで来る人はいないようだ。


 車内の自動音声が、八高線箱根ヶ崎駅のアナウンスを始めた。  駅ならば人がいるだろう。多くの人が乗車し、閑散とした車内に賑わいがもたらされ、私の「お隣さん観察」が本格的に始まる――そんな期待で胸が膨らむ。  バスは駅前のロータリーへと滑り込む……が、誰もいない。バス待ちの人影ひとつない。当然のようにバスは停止することなく通過し、私の期待は見事に裏切られた。


 期待外れの駅前風景が、窓の外を流れていく。行き先の分からぬこのバスでは、私が思い描くような人間模様を見ることは不可能なのだろうか。  諦めかけたその時、バスが減速した。窓の外には、何やら多くの人だかりが見える。


 ここは市の大きな施設の前のようだ。乗り込む客が列を成してバスの到着を待っているではないか。  プシューッと扉が開くと、ドカドカと人が乗り込んできた。一気に賑やかになる車内。私の隣の席はまだ空いているが、周りは大勢の客で埋まった。  さあ、出番だ。「聴き耳」を立て、「妄想準備」を整える。心が波打つのが分かる。我ながら、おかしな趣味を持ったものだ。


 四方八方から、話し声が私の席まで飛んでくる。耳で捉える、客同士の生の会話。


「……あのね、バス停の近くに新しくできたスーパー、あそこすごいのよ。お野菜が安くてねえ」 「そういえば、街の向こうに新しく電車が通るって話、聞いた?」 「やだわ、近くで事件があったらしいじゃない。さっきお巡りさんが大勢いたわよ」


 失礼かもしれないが、たわいもない世間話だ。まるで老人の会合か井戸端会議がそのまま移動してきたような、そんな気安さが車内に満ちていく。  その賑わいで、肝心の車内アナウンスがかき消されてしまう。一体全体、このバスはどこへ向かっているのやら。さっきまで大音量だと感じていたお婆さんたちの声も、今ではこの喧騒の中に埋もれて小声に聞こえてしまうほどだ。


 バスが大きく揺れて停車した。大勢の客が一斉に立ち上がり、下りる準備を始める。どうやらここは乗換駅で、電車との接続があるらしい。


 吐き出される客と、吸い込まれる客。半々とまではいかないが、買い物袋をはち切れんばかりに満たした客たちが、入れ替わりに乗り込んできた。袋からはネギの青い頭や、特売のシールが貼られたパックが見え隠れする。この乗換駅は、どうやら賑やかな商店街がある街らしい。 「あれが安かった」「これも安かった」という、戦果を報告しあう声に変わる。


 バスの車内は、今までとは違った、生活の匂い――揚げ物の油や、土のついた野菜の匂い――を載せて発車した。  少し静かになった車内に、ようやくクリアな機械音声の行先案内が響いた。 「このバスは、西武新宿線、花小金井駅行きでございます」  なるほど。青梅の辺りから、青梅街道をひたすら真っ直ぐ東へ進んできていたというわけか。


 私はシートに深く体を沈め、安堵のため息をついた。行き先が分かれば、慌てることも心配することもない。見知らぬ土地へ連れ去られる心配はなくなった。  心配するほどのことでもなかったが、やはり行き先がわからないというのは、どこか落ち着かないものだ。  不安が消えた耳には、先ほどにも増して色々な音が飛び込んでくる。勝手な景色が、脳裏に浮かび上がっては消える。


 駅前の大きな雑居ビルの地下にある、活気あるスーパーマーケット。  そのビルへ飛び込み、大急ぎで地下へと潜る人々。エスカレーターを駆け下りた先にあった特売のチラシをひったくるように手に取り、目当ての格安商品を探して売り場へと急ぐ。そこは大勢のお客でごった返し、熱気すら感じる。望む商品が手に入らず、慌てて他の売り場へと移動する主婦の姿……。  そんな賑やかな町のショッピングセンターが、今ここにいる「となりのひと」たちの、生活とコミュニケーションの場となっているのだろう。


 そんな光景を妄想のスクリーンに映し出しながら、バスの旅は続く。




 買い物袋を手にした乗客でほぼ満員となったバスは、今までとは少し違った景色の街を走っていく。  今までののどかな田園風景から一変、昔ながらの家並みが続く街道沿いへと入ったようだ。かつては民家や商店が軒を連ねる、旧街道のような趣があったのだろう。今では所々に新しい大きなマンションやビルが建ち、その面影を少しずつ壊しつつある街並みだ。


 車内は、先ほどの喧騒が嘘のように静かになってきた。古い町並みも、今では住民が入れ替わり、新しく転居してきた人が多くなっているのだろうか。そんなことを考えていると、バスが停車した。  何駅だろうと窓の外を見ようとした瞬間、私の隣に、ドスンと重みがかかった。



 若い女性だ。強烈な甘い香りをプンプンと漂わせ、いきなりドカンと座ってきたのだ。躊躇する様子も、遠慮する素振りもない。いや、する必要などないのだが、あまりに唐突だったので、私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまったに違いない。  こんな爺さんの隣など嫌がって、わざわざ座ることはないだろうと、そう勝手に決めつけていた自分がいたから、余計に驚いたのだ。


「となりのひと」は、耳にイヤホンをして音楽を聴いているようだ。どんな音楽なのかは漏れ聞こえてこないが、かすかに体がリズムを刻んでいる。バスの揺れとは違う、小刻みな揺れ方だ。  さらに驚くことには、彼女は揺れながら器用に化粧を始めたではないか。小さなポーチからコンパクトを取り出し、パフで顔をはたき始める。寝坊したのか、それともこれが彼女の日課なのか。それにしても、香水の匂いがキツイ。鼻の奥がツンとする。


 会話はもちろん無いが、香りを伝えてくる「となりのひと」の妄想が、私の頭の中で勝手に始まる。  ……これは、やはり変態の領域だろうか。いや、まあ良い。誰に害を与えるわけでもない。そう自分に都合の良い判断を下して、私は妄想を続けることにした。


 バスが停まった。大きなバス停のようだ。乗客たちがぞろぞろと下りていく。  隣の二十代くらいの、化粧途中の女性も、慌てて道具をバッグに放り込み、席を立った。  ここはJR武蔵野線の新小平駅らしい。車内アナウンスは聞こえなかったが、窓外の景色と人の流れからそう推測する。この駅で乗り換えて、JR中央線の国分寺へ出るのだろう。そんな様子で、半分くらいの乗客がバスから吐き出されていった。代わりに乗り込む客はいない。バスは軽くなって発車した。


 車内はまだざわついている。渋滞中の街道を進んでいるらしく、発進と停止を繰り返すたびに体が揺さぶられる。運転手さんが「手すりにおつかまり下さい」と、何度も何度もアナウンスしている。  危険が伴う道路状況だからか、それとも騒ぎが収まらない車内を諌めるためか。バスが停車した。ここで下りる客が、ドアの前でざわついていたのだと今わかった。


 西武多摩湖線の青梅街道駅である。この沿線には学校や企業、様々な施設が点在しているから、乗り降りが激しい。乗客の回転が早すぎて、私の趣味である観察はなかなか捗らない。仕方のないことだが、一人取り残されたようで、少し寂しい気持ちになる。


 バスが発車した。ほとんどの客が下りてしまい、車内には私を含めて僅かな乗客しか残っていない。新しく乗ってくる客もいない。どうやら、終着駅が近づいているようだ。


 最後の「聞き耳」をと、私は頑張って耳をそばだてる。  前方に座っていたお年寄りの夫婦が、信号待ちの隙に運転席へ近づき、運転手と話を始めた。進行中のバスで大丈夫なのかとヒヤヒヤしながらも、私はその会話を聞き漏らすまいと集中する。



 私と同年代らしきその夫婦は、バスはどこまで行くのか、新宿方面へ行きたいのだが、終点から接続のバスはあるのかとか、まさに私が最初に知りたかったような質問を、矢継ぎ早に投げかけている。  バス停でもないのに、バスが完全に停車した。どうやらこのご夫婦のために、運転手さんが安全を確保して、丁寧に調べてくれているようだ。感心な運転手さんだ。ダイヤに追われる中、なかなか出来ることではない。


 しばらく停車した後、納得したのか老夫婦が席に戻ってきた。望む答えを得たようで、二人は下りた後の行動について相談を始めた。 「やっぱりバスじゃなくて、最初からJRで行けば良かったかねえ」 「でもお父さん、電車だと階段が多いし、人も多いから疲れるじゃないの」 「それもそうだが、都心へ行く電車は、何時の時間帯でも混み合っているからなあ」


 そう、ラッシュ時間を過ぎても、東京の電車は混雑している。  その原因の一つは学生さんたちだ。最近は高校生たちが九時を過ぎても大勢乗ってくる。学校の授業開始時間はどうなっているのか、そんなことが気になってしまうのは、私が古い人間だからだろうか。  問いかけても、答えをくれる相手はいない。そう言えば、私の家の近くにも高校があって、通学時間がばらばらなのを思い出した。通常の時間に行く生徒もいれば、十一時前になってようやく登校する生徒も見かける。多様な学びのスタイルがあるのだろう。


 こんな調子だから、ラッシュのピークが過ぎて十時近くになっても、車内が混雑しているのだ。この老夫婦も、そんな混雑を避けて、シルバーパスを利用したのんびりバス旅を選んだ口かもしれない。親近感が湧いてくる。


 やがてバスは、終点の西武新宿線花小金井駅に到着した。長い旅の終わりだ。私は席を立ち、バスを下りることにした。


 先ほどの老夫婦はと言うと、運転手さんに教えてもらったのだろう、バス停の案内板を一つ一つ確認しながら、目的地へと向かう次のバス乗り場と時刻表を探しているようだ。


 私も、彼らと同じ方向を目指すことにした。声は掛けないが、同志のような気分で、同じようにバスの停留所を確認しながら歩を進める。


 新宿方面へ向かうバス停は、駅の北口と南口の二箇所にあるようだ。  しかし、よく考えてみれば、新宿方面へ出るならば、ここから吉祥寺に出て、そこから中央線に乗るなり、別のバスに乗り継ぐなりした方が良いのではないか。


 よし、吉祥寺行きの西武バスに乗ることにしよう。  次のバスまでまだ時間がある。少し駅前を散策してみるのも悪くない。


 私は駅ナカの、線路を跨ぐように作られた長い連絡通路を通り、南口へと向かった。  南口にもバス停が二、三あるものの、時刻表を見ると発着本数の少なさが目立つ。ここを発着点とするバスは少なく、多くは大通りから出るようだ。南口よりも北口の方が商業施設が多く、住民の生活の拠点となっているのが見て取れる。


 南口の先には、有名なゴルフ場や広大な都立公園などがあるはずだ。休日には行楽客で大賑わいなのだろうが、平日のこの時間に、わざわざ下りてくる人は少ないのだろう。私は来た道を引き返し、先ほどの北口のバス停へと戻ることにした。


 「西武バス 吉64 吉祥寺駅行き」。そのバス停で、次の旅の始まりを待つ。  既に四、五人の先客が列を作っていた。その中には、あの老夫婦の姿もあった。彼らもここが正解だと辿り着いたようだ。なぜだか分からないが、自分のことのように安堵の気持ちが広がる。


 これから先のバス旅は、どんな出会いが待っているだろうか。私はそんなことをぼんやりと考えながら、バス停の行列の最後尾に並んだ。

三章 武蔵野の風  

やがて、ロータリーに滑り込んできたのは「吉64」吉祥寺駅行きの西武バスだ。プシューッと扉が開き、列を作っていた客が吸い込まれていく。私はあの老夫婦の背中を見守るように、少し間を空けて乗り込んだ。

 車内はすでにそこそこの混み具合だった。花小金井駅からの乗客を飲み込むと、座席はすべて埋まり、立っている人もちらほらといる。幸い、私は後方の一人がけの席に腰を下ろすことができた。老夫婦は少し前方の二人席に並んで座っている。その後ろ姿になぜかホッとしながら、私は再びシルバーパスを鞄の奥へとしまい込んだ。


 バスが発車すると、窓外の景色は先ほどまでの街道沿いから、少しずつ緑の多い落ち着いた風景へと変わっていった。  しばらく走ると、進行方向の右手に広大な緑の森が現れた。都立小金井公園だ。木々の隙間から、平日の昼下がりを楽しむ家族連れや、のんびりと散歩をする人々の姿が見え隠れする。春には桜が咲き誇り、大勢の行楽客でごった返すこの道も、今は初夏の穏やかな日差しに包まれている。

 そんなのどかな車窓の風景から視線を車内に戻すと、今度の私の「お隣さん」――通路を挟んだ横の席――には、一人の青年が座っていた。  

年齢は二十代半ばといったところか。洗いざらしのシャツにチノパンというラフな格好で、膝の上に置いた分厚いリュックサックを抱え込むようにしている。彼の視線は、手元のスマートフォンではなく、一冊の文庫本に釘付けになっていた。

 最近の若い人といえば、バスに乗るなりスマートフォンの画面を指で弾き続けるのがお決まりの光景だ。しかし、彼は違う。紙のページをめくる指先の動きが、なんとも丁寧で落ち着いている。  どんな本を読んでいるのだろう。私の悪い癖が、また頭をもたげてきた。
 表紙はブックカバーで隠されていて見えない。しかし、時折彼がページを繰るタイミングで、わずかに眉間にシワが寄ったり、ふっと口元が緩んだりする。難しい哲学書だろうか。いや、あの微かな笑みは、もしかすると軽妙なミステリー小説や、人情味あふれる時代小説かもしれない。


 ――彼はきっと、吉祥寺にある古書店を巡るのが趣味の、実直な青年なのだろう。休みの日はこうしてバスに揺られながら、活字の世界に没頭する。行きつけの喫茶店でコーヒーをすすりながら、戦利品の古本を読み耽るのが至福の時なのだ。
 そんな勝手な人物像を頭の中で組み上げ、私は一人でほくそ笑む。  隣の女性のきつい香水に鼻をつまみそうになった先ほどのバスとは違い、この青年からはかすかに石鹸の清潔な香りが漂ってくる気がする。読書家という私の妄想フィルターがかかっているせいかもしれないが、不思議と居心地が悪くない。
 バスは田無、東伏見と、西武新宿線と並行するような形で武蔵野の街を進んでいく。  停留所に停まるたび、乗客の顔ぶれが少しずつ入れ替わる。買い物帰りの主婦、大きな鞄を持った営業マン風の男。人が乗り降りするたびに、車内の空気も少しずつ混ざり合い、変化していくのがわかる。
 ふと前方に目をやると、あの老夫婦の姿があった。  

お爺さんの方は、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めている。お婆さんの方は、手元の小さなメモ帳のようなものと睨めっこをしている。新宿に出てから立ち寄るデパートの買い物リストでも確認しているのだろうか。それとも、お目当ての美味しい食事処の住所だろうか。  会話は聞こえないが、二人の間には長年連れ添った夫婦特有の、言葉を必要としない穏やかな空気が流れている。なんだか、映画のワンシーンを見ているようで、少しだけ羨ましくなった。

 武蔵関を過ぎたあたりから、車窓の景色は再び活気を帯びてきた。  背の高いマンションや、洒落た看板のカフェ、そして行き交う人々の足取りが、明らかに「都会」のそれに近づいていることを教えてくれる。若者が集う街、吉祥寺が近づいているのだ。
 それに呼応するように、バスに乗り込んでくる客層も若返ってきた。  華やかな服を着た女子大生のグループが乗ってくると、

車内は急にパッと明るくなったような気がした。彼女たちの楽しげな笑い声が、BGMのように車内に響く。私の隣の青年は、そんな喧騒には一切気を留めることなく、相変わらず文庫本の世界に沈み込んでいる。見事な集中力だ。

 「次は、吉祥寺駅。終点でございます」
 機械の音声が、旅の区切りを告げた。  本を読んでいた青年が、パタンと本を閉じ、ゆっくりとリュックを背負い直す。どうやら彼もここが目的地のようだ。
 大きなロータリーをぐるりと回り、バスは吉祥寺駅の北口に到着した。  

ドアが開くと同時に、むせ返るような都会の熱気と、ざわめきが車内に流れ込んでくる。大勢の人が行き交うアーケード街、スピーカーから流れるけたたましい音楽、そしてバスを待つ長い列。  奥多摩から出発したこの小さな旅も、いよいよ折り返し地点といったところか。

 私は手すりを頼りにゆっくりと立ち上がり、青年の後ろに続いてバスを降りた。  さて、ここから新宿へ向かうには、いよいよJR中央線に乗るか、あるいは……いや、まだ急ぐ旅ではない。
 私は駅前の喧騒の中に立ち止まり、大きく深呼吸をした。  吉祥寺。この街角のどこかに、また新しい「となりのひと」の物語が潜んでいるはずだ。私は次のバス停を探す前に、少しだけこの街を歩いてみることにした。



(続く)


小説「となりのひと」(改訂版)