6/05/2026

箱根ヶ崎から乗る、銀河鉄道の普通列車

 1. 旅の始まり――午前四時のプラットホーム

ふと目が覚めると、時計の針は午前四時前を指していた。

枕元で鳴り響くはずの目覚まし時計を先回りして止め、私はそっとベッドを抜け出す。こんな時間に起き出して何をするのかって? 決まっている。汽車旅に出るのだ。それも、あらかじめ時刻表をめくって緻密に計画された旅ではない。頭のなかにふわりと浮かんだ、一泊二日の「妄想のローカル線めぐり」を、そのまま現実のレールへと滑り込ませるための密やかな出立である。

愛車の自転車にまたがり、まだ夜の底に沈んでいる街を駆ける。冷たい夜気が頬を刺すが、それがかえって心地よい。向かうはJR八高線の箱根ヶ崎駅だ。

平頃なら見慣れた橋上駅舎の階段を駆け上がり、自動改札機に切符を滑り込ませる。だが、そのときだ。カツン、と乾いた音を立てて手元に戻ってきたのは、磁気カードではない。なんと、分厚くて四角い、懐かしい「硬券」の乗車券ではないか。それも薄緑色の地紋には、うっすらと「国鉄」の文字が躍っている。

「おや……?」

狐につままれたような気分でホームへ降りると、冷え切ったコンクリートの向こうから、ガタゴトと重低音のジョイント音が響いてきた。朝霧の向こうから現れたのは、ステンレスの現代的な近郊型電車……ではなかった。朱色とクリーム色に塗り分けられた、国鉄色のキハ40系ディーゼルカー。それも一両きりの単行列車が、息を荒くしながら滑り込んできたのだ。

プシューという空気の抜ける音とともに開いたドアから乗り込むと、車内にはかすかな油と煤の匂い、そしてベルベットの青いクロスシートが待っていた。

「さあ、どこへでもお連れしますよ」

振り返ると、そこには紺色の詰襟に金ボタン、手にはパチンと小気味よい音を立てる改札鋏(かいきょうばさみ)を持った車掌が、帽子を目深にかぶって不敵に微笑んでいる。

線路はどこへ繋がっているのか。いや、この際どこでもいい。私の妄想を乗せた銀河鉄道の普通列車は、ゆっくりと、しかし確実に動き出した。

2. 車中の楽しみ――特製カツサンドと、向かいの席の「容疑者」

列車が箱根ヶ崎を出て、関東平野の西の縁をなぞるように走り出すと、車窓の闇はしだいに深い群青色へと変わり、やがて茜色の朝焼けが空を焦がし始めた。

汽車旅の最大の醍醐味といえば、何をおいても車内での食事だろう。私はおもむろに、鞄から「旅のお供」を取り出す。今日のために用意したのは、昭和の食堂車を思わせる、ちょっぴり贅沢な厚切りのカツサンド。そして、まだ冷たい缶ビールだ。

プシュリ。

静かな車内に、じつに品の良い音が響き渡る。朝の光を浴びながら、カツサンドを頬張り、ビールを喉に流し込む。衣に染みた甘酸っぱい濃厚ソースと、ジューシーな豚の脂、そして麦芽の苦味が口の中で完璧な調和を奏でる。レールの「ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン」という一定のプロット(リズム)が、これ以上ないBGMだ。

ふと、私のミステリー作家としてのアンテナが、対面のボックスシートに座る人物を捉えた。

いつの間に乗り込んできたのだろう。外套の襟を立て、膝の上に古びた革のトランクを大切そうに抱えた妙な男だ。年齢は四十前後。茶色い中折れ帽から覗く目元は鋭く、絶えず窓の外の景色を警戒しているように見える。

(さて、彼は何者だろうか?)

私はビールをちびちびとやりながら、頭のなかで軽い「推理」を組み立て始める。 彼のトランクの端からは、わずかに茶色い紙の束が見えている。あれは……古い楽譜、あるいは旧紙幣か? 彼の服装は明らかに1960年代の仕立てだ。

もしや彼は、半世紀前の過去から、ある「重大な未解決事件」の証拠を抱えてタイムスリップしてきた乗客ではないか。このローカル列車は、時代に取り残された迷い人たちを運ぶ、時空のシェルターなのかもしれない。だとしたら、次の停車駅で彼を待ち受けているのは、追っ手の刑事か、それとも――。

男がハッと私の方を向いた。目が合う。彼は小さく会釈をすると、トランクをさらに強く抱きしめた。容疑者(仮)との無言の心理戦。これだから、汽車旅の人間観察はやめられない。

3. 目的地での気付き――地図にない木造駅舎にて

列車はいつしか、八高線の枠を飛び越え、日本海を望む北国の切り立った断崖の上のローカル線へと迷い込んでいた。車窓には、荒々しく波打つ群青色の海と、白泡を立てる海岸線が広がっている。一泊二日の旅路は、時間も空間も引き延ばしていく。

「終点、幻波(げんぱ)――。どなた様もお忘れ物のないように」

車掌の哀愁を帯びたアナウンスに促され、私は冷たい風が吹き抜けるホームへと降り立った。

そこは、潮の香りに満ちた古い木造駅舎だった。改札口には、使い込まれて黒光りする木製のラッチ。駅舎の隅では、だるまストーブがパチパチと音を立てて燃えており、その上でスルメが炙られている。

「旅の人かい」

ストーブの番をしていた地元の老人が、顔の深い皺をクシャリとさせて笑いかけてきた。 「ここはね、行き止まりの駅さ。だけどね、線路っていうのは、ここで終わりに見えても、本当はどこまでも繋がっているんだよ。人の記憶にもね。あんたが乗ってきた列車も、誰かの懐かしい思いが走らせているのかもしれんよ」

老人が差し出してくれた温かいお茶をすすりながら、私は駅舎の窓から錆びついた終着点の車止めを見つめた。

先ほどの「容疑者の男」は、いつの間にか駅の雑踏へと消えていた。彼がトランクに隠していた秘密が何であれ、この終着駅が彼を優しく受け入れたのだろう。 鉄路というものは、地図の上の距離だけでなく、過去から未来へ、そして他人の人生から自分の人生へと、目に見えない線で繋がっている。日常の煩わしさに擦り減っていた心が、その北国の小さな駅で、じんわりと温かいもので満たされていくのを感じた。

4. 結び――再び、箱根ヶ崎へ

ハッと気がつくと、頬に冷たい風が当たった。

「……あ、おしまいだ」

私は自転車のサドルの上で、小さく声を漏らした。 目の前にあるのは、すっかり夜が明けた現代のJR八高線・箱根ヶ崎駅の駅舎。通勤・通学の足を急ぐ人々が、イヤホンを耳に足早に改札へと吸い込まれていく。

すべては、午前四時の目覚まし時計が見せた、極上の「一泊二日の妄想旅」だったのだ。あのキハ40系も、1960年代の乗客も、北国の木造駅舎も、私の脳内という特等席で上映された映画のようなもの。

しかし、不思議なことに、私のポケットのなかには、カツサンドを買ったときのお釣りと一緒に、なぜか固くて小さな厚紙の感触――あの硬券のきっぷが残っているような気がしてならない。いたずらなミステリーの神様が、粋な悪戯を残していったのだろうか。

なぜ、汽車旅(たとえそれが妄想であっても)はこれほど素晴らしいのだろうか。 それは、飛行機のように点から点へ飛び越えるのではなく、線路という一本の線を、一歩一歩踏みしめるように進むからだ。無駄に見える時間の中にこそ、人間らしい豊かな気付きが隠されている。

さあ、妄想の旅は終わりだ。しかし、私の胸には、あのディーゼルエンジンの力強い鼓動と、少し前向きになった自分が確かにいる。

自転車のスタンドを跳ね上げ、私は日常という名の、次なる素敵な旅へ向けてペダルを踏み出した。

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